赤星結花さん、ミャンマーでのビューティメディア事業への想い|LEON連載 Vol.10再掲

2020年5月9日

 

あけましておめでとうございます。いま生涯4度目の渡航となるヤンゴン(ミャンマーの旧首都)に来ていまして、いま宿の部屋でこれを書いています。例によって1泊2日です。ここ10年、世界の、とりわけ東南アジアの多くの都市に繰り返し訪れていますが、ここヤンゴンほど来るたび大きく表情を変えている都市を他に挙げることはできません。
おそらく2010年代の東南アジアで、もっとも変化した街でしょう。ビザも2018年10月からは不要となり、空軍の発着基地のようだった空港も小綺麗になり、道路も舗装されました。わずか8年ですが大袈裟でなく、まさに隔世の感を覚えます。

 

なんせ僕が初めてきた2010年7月の、米国による経済封鎖が解かれる前のヤンゴンは、クレジットカードが使える店がトレイダーズホテル1軒のみでした(オーソリ=承認はシンガポールから届いていた)。街にはATMも1台もないどころか、銀行店舗を見つけるのも一苦労。しかも当時は電算化されておらず、預貯金の出し入れがハンコで管理されていました。もちろん国外のお金は引き出しができません。

 

そして往時は米ドルしか兌換価値のある外国通貨がありませんでした。シンガポールドルも日本円も意味なし。しかも、折り目のないキレイで新しい高額の米ドル紙幣に高い価値があり、小額で、汚い米ドル紙幣は交換価値が低い!というのです。違う惑星の通貨価値を提示されたような気持ちになったものです。お陰で初回はほんとに米ドル持ち合わせのみの貧乏旅行となってしまいました。いまも笑える想い出です。
それが今や立派な大都会なわけですから、如何にこの7~8年の開発が凄まじかったか、を考えざるを得ません。上海やバンコクがそうであったように突貫造りの建物の陳腐化が早回しで進むので、あと30年は造っては壊す止めどないスクラップアンドビルドが続くのでしょう。

 

その初めてのヤンゴンにて、偶然に知り合った少女と言ってもいいルックスの日本人女性、赤星結花さんは、日本人青年が経営するヤンゴンの不動産会社のマネジャーでした。
彼女はマンションをミャンマー人の部下を通じて販売していました。まだ更地にすらなってない建築予定地に立つという未来的なマンションのCGが描かれてあるパンフレットを営業ツールにして、部下たちはひと部屋1000万円するマンションを口八丁で売っていました。これは東南アジアでよく見かける光景です。が、うら若き日本人女性が管理職というのは珍しい。
また彼女はこれからマンションを建てるという用地買収にも、会社において一役担っていました。彼等は百枚単位で輪ゴムでぐるぐる巻きになってる1000チャットの札束(当時は100USドル=10万チャット前後)を鞄にぎっしり詰めて地上げ交渉していたのです。

 

しばらくして、そう2年ほど経ったでしょうか。仙台の実家にいるという赤星結花さんから連絡がありました。最初が鮮烈な印象だったのでよく憶えていましたが、久しぶりに東京で会った彼女はヤンゴンの不動産会社を既に辞めていました。彼女曰く、ヤンゴンに帰り、ミャンマーの女性たちを可愛くお洒落にしていくための情報誌を作りたい、と言うのです。
僕は少し考えて、それは時期尚早じゃないかな、と。「もし編集や出版に興味があるのであれば、上京して出版社に勤めてみないか」と切り返しました。そして参画先ゴマブックスに転じた彼女は、予想通りめきめきと頭角を現し、企画として編集として素晴らしい業績を挙げました。ですが、やはりヤンゴンへの想いは断ち難たかったようで、在職1年ほどで再び単身ヤンゴンへ赴くことになったのでした。

 

2016年の秋になって、久しぶりに連絡してきた赤星さんとシンガポールで会いました。気づけばゴマブックスを辞めてもう1年半以上経っていました。ヤンゴンに帰った彼女が起こしていた「YUYU Beauty」というヤンゴンの女子たちを可愛くお洒落にするためのFacebookページはなんと80万いいね!を既に獲得。そして、そこまでの轍をいつものようにぼそぼそと、しかしながらシッカリと的確に数字を交えて話す彼女の様子を目の当たりにして舌を巻きました。東南アジア最速で成長を遂げているヤンゴンに身を置く赤星さんもまた驚くべき成長を遂げている!ということなのかもしれません。
聞けば、ミャンマーという国は株価を変えて新株の発行ができない!(笑)というトンデモルールだといいます。かたや旺盛な飛躍の機会があるYUYUがバリエーションを上げた新株発行を通じて資金調達しない手はありません。ゆえに彼女は持株会社をシンガポールに設立するために、僕に相談に来たのです。僕は直ぐさまミャンマー事業会社の100%持株会社をシンガポールに新設し、同時に同社の資本と経営に参画することにしたのです。そのまま共に支援者を探し出した新会社は、一年後の2017年末に初めての優先株発行を行いました。
今やYUYU Beautyはミャンマーを代表するセレブリティも喜んでゲスト出演に応じてくれる人気のあるFacebookページへと成長、新規事業のインフルエンサー事務所事業も堅調に推移しています。僕がヤンゴンにいるのは、そんな同社の今後の戦略と、今や20名もの正社員を抱えるオフィスの様子を見に来たため。

 

毎日、新しいコンテンツを公開する体制に進化し、5名の専属モデルは全員社員として雇用し、他のスタッフと同じく日々働いてます。30歳を迎えたCEOの彼女はもはや貫禄さえ感じるほど頼もしくなりましたが、事業への変わらぬ直向きさがなにより素晴らしいと感じています。

 

初出: LEON.jp 加藤ポールの「激動の投資家人生」 連載 Vol.10 (2019年1月1日) https://www.leon.jp/lifestyle/9856