私も履歴書 4 |マハラジャのマハラジャ。

2023年11月2日

どうも…大学には全然行っている様子がなかった真田さんは86年当時、大阪のディスコや夜遊びの世界ではたいへんなセレブリティでした。
 

前年まで、関西最大といわれた学生団体Naniwa Clubを主催していたこともあるのでしょうか、、彼は何故か?当時のミナミやキタでぶっちぎり一番人気だったマハラジャのVIPカードの発行権を個人で持っていたのです。
 
ディスコに絶妙に取り入り、集客に大きくプラスになるオピニオン・リーダーや、週末のデイタイムにディスコを貸切ってパーティを催す学生サークルの代表者に、VIPカードを渡す役回りを任されていた、、というカラクリです。
マハラジャに待ち時間なしでVIPルームに入れるというのは、絶大な特権です。そのカードを誰にあげるかを、社員でも店長でもない.. 真田哲弥さんが決めていたのです。なるほど、それは有名になります!。
かたや僕はいえば高校時代の友人や、昼食時の生協の食堂や校門前の中央芝生で見ず知らずの学生に声をかけて、日々、関学甲南ウエルカムダンスパーティのパー券を売っていました。
真田さんは入場制限しているマハラジャの入口を、並ばずに脇から「まいどおはよう」とかいってゴォーッと入って行っちゃいます。彼にはカードなど要りません。顔パスです。
するするとVIPルームに滑り込むと、彼が与えたVIPカードで入っていたサークルの代表者たちがダーッと近寄ってきて代わる代わる挨拶します。
そして真ん中の一番フロアがよく見える特等席が空けられるのです。んで店内で適当に食べて「じゃあな」と言って帰っていきます。
マハラジャに顔パスで入って、VIPに君臨して座っている真田さんを眩しい思いで見ながら、男惚れしていました。「かっこええなぁ」
19歳の僕には、真田さんが”マハラジャのマハラジャ”にみえてました。

…あの頃は、真田さんの近くに居れば楽しいことがあるのではないか、という雰囲気がありました。取り巻きは、僕だけではありませんでした。

夜な夜な腰巾着みたいな感じで付いているうちに、いつしか弟子というか、小間遣いのような存在になっていました。マハラジャでVIPルームで待つ真田さんにフードを運ぶのも僕の役目になっていました。
かたや彼は当時、東京で一世を風靡していたイベント系サークル、Y-TRAP、GALA、TRANSWAVE、・・・ などのメンバーとも親交を持っていました。
それらは在京の大学生が遊びや金儲けを目的に結成した団体だったのですが、真田さんは、彼らが東京で受注しているプロモーションの仕事の、京阪神の展開を請けていました。
関学甲南ウエルカムダンスパーティは600人を超える来場者で大成功となりましたが、、それが終わるや、「東京に行くので着いてこい」と指示されました。
1986年6月30日に赤坂のホテルニューオータニで開催されたキャンパスバンケット’86は、1000名近くの関東一円の大学生が集まる大イベントでした。
僕は、主催のキャンパス・リーダーズ・ソサエティの歴代の代表各氏と、会場にて親しげに談笑する真田さんを、眩しく誇らしくみたものでした。 僕は真田さんの傍らに身を置いたことで、遠い存在だった東京を目の当たりにすることもできたのです。
箕面高校を卒業して僅か3ヶ月。

僕は日々、ジェットコースターに乗っているかのような気分でした。

 

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10月のある日。
そんな真田さんが「加藤、これからは学生企業や」と言いだしたのです。
「ガクセイ、キギョウ??」
当時、僕らから見てとても眩しい存在だった方に、関西大学に在学中に起業したテンポラリーセンター(現パソナ)の南部靖之さんがいらっしゃいました。
南部さんは現在もパソナグループの代表ですが、当時はまだ30前後で、派手な言動ととにかく新種の企業をたくさん創るということがマスコミでいろいろと報道されていました。 そして南部さんは、これからは学生が起業する時代なんだ、と言っておられたのです。
アイデアマンだった真田さんは、それまでにもテンポラリーセンターが中心になって設立したベンチャーキャピタルのJIC※が主催したビジネスプランコンテストにも参加して、惜しくも選に漏れていたりしてたようでした。
「そうですか、会社ですか…」
「で…さなさん、会社って具体的にはナニをやるんですか。」
「運転免許合宿。」
えっ!
なんと…僕がつい半年前に全財産をつぎ込んだ、合宿免許をやるのだ、というのです。
 
(※このJIC ジャパン・インキュベーション・キャピタルは「日本で初めてのベンチャー企業投資育成会社」という触れ込みで83年に設立されていました。同社は南部さんが呼びかけ人になって、日本ソフトバンクの孫さんの他、アスキーの西さん、マルコーの金澤さん、データコントロールの原さんなど若手起業家7名で出資し、 これからの若い経営者を支援していこうという趣旨でした。)