私も履歴書 1 |お金は、遣う為にあるのだ。 

 
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思い返せば、まぁ普通のタイムでした。自己ベストも更新できず。

8月の最終週にある北摂記録会を終えると、箕面高校水泳部では二年生は現役を引退します。

1984年8月末、このタイミングでさっぱりと、僕は受験勉強に集中することの腹を固めました。

せっかくなので、同時に受験成就の自分に対するご褒美を設置することにしました。そして、それはあっさりクルマに決まりました。いま思い出しても、別にそんなにクルマに乗りたかったわけでもないのに。

数学がカラキシ駄目だったこともあって、3年になった頃には『関関同立の商学部か経営学部』に固まりました。

そして僕は幸運にも第一志望の関西学院大学商学部に86年2月 合格しました。
嬉しかったです。おかんは泣いていました。
この頃から、自分で思っているのですけど、僕はたぶん本番に強い。

(合格したときは、学校入ったらマジで商売の勉強をしまくろう!と思っていました。…結局、入学直後にこの気持ちは萎えることになったのですが)

勉強中に僕は親・弟妹に「現役合格したらクルマに」な~んてことを話していたこともあったのでしょう。有り難いことに両親は「中古車※」を合格祝いに買ってくれる、と言ってくれました。で、お言葉に甘えることになったのですが・・

僕にはまだ「免許がない」のです。
                                                                ※後日購入したのは日産ガゼール(笑)

でもせっかく合格したのだから、一刻も早くほしい!。クルマに直ぐに乗りたい!!。

そこで友人シミズに相談し、出た結論が「一緒に運転免許合宿で取りに行こう」でした。成程ソレなら最短で獲れそう。

『最短16日間、16万円で免許取得』って、合格直後に豊中駅で買ったLマガジンの広告にも書いてあるし。

16万円。

しかし・・・そんなお金はない。
いや待てよ、アレがあるぢゃないか。そう!お年玉専用の郵便貯金通帳が。

生まれてから18歳まで、ほぼ毎年ちゃんとコツコツ貯めていた、あのお年玉。

父方と母方の祖父母から、オヤジから、親戚から、近所のおばちゃんからもらった1000円ずつ500円(昔はお札だった)ずつ貯めた金があるぢゃないか。あそこの通帳に25万円あるのだ。それに16万ならば9万もまだ残るのだ。

喜び勇んで、Lマガに載ってる合宿免許の広告に電話したら・・。

『あー 16万円から って広告に書いてあるでしょ。それはね4月9日以降に入校する人の料金なんですよ。今はね、4月4日までの卒業を目指すのであれば22.5万円です。』

え”ぇ!Σ(゜Д゜;そんな。
6万5千円も高いやんか。・・・でも手元に25万円ある。

こいつは18歳のフツーの高校3年生にとって、ある意味で全財産だった。
でも、免許どうしても欲しいのだから致し方ない。選択肢もない。

『じゃ、それでいいのでお願いします』

『はい、それでは受付します。その他に実地の試験料として2.5万円かかります。合計25万円ですので、よろしくお願いいたします。』

工工エェェェェ(゜Д゜)ェェェェエエ工

いや、でもしょうがない。青春は今しかない。チャンスの神様には前髪しかないのだ。
走馬灯のように、流れて行く幼き記憶。
ポチ袋に入った3つ折りのお札を毎年、郵便貯金通帳に貯めてた日々。

・・とか、1.5秒くらいは考えたでしょうか。
スパッと入校を決めました。
25万円なら関西学院の生協でもらったチラシに乗ってた春休みに運転免許取っちゃうプラン総額と同じです。

だってクルマに乗りたいやんか。

25年前の1986年2月。僕は躊躇いなく、関学の生協に郵便貯金を全額引き出して、前払いしてきました。

こりゃ…よく漫画に描かれている豚の貯金箱をカチ割って、中に入ってるお金を全部一つのことに使い切る、といった状況でしょう。

そう お金は、遣う為にあるのだ。 以来~現在に至るまで、かわらぬ処世の理です。

そして数日後、
高校の卒業式を終えた足で、まっすぐ大阪駅に移動。

箕面高校の2年3組の同級生シミズとふたりで、福井県の鯖江自動車学校に入学したのです。