私も履歴書  37|メディアレップドットコム

 

ネット広告業界全体の勢力図を見渡し、考え抜いて、僕が出した結論としてのアイデアは、新合弁会社である広告枠の総販売元まぐクリックは、ウイークリーまぐまぐ、そしてクリック保証型広告の「まぐクリック」ともに【大前提として、メディアレップを通じて販売を行う】というものでした。

 

つまり、広告代理店・広告主むけの商流として、それまでのウイークリーまぐまぐと同様にcci、DACを介して売りましょうと、熊谷さん西山さんに提案したのです。

 

「しかしながら、それだけでは今までとなんら変わらないですし、売上を急伸させるドライブもかからないので、あともう一社だけメディアレップを増やさせてください。それを僕が責任を持って経営し、まぐクリック社の業績向上にコミットします。」

 

「日広がやるの?」

 

「いえ、日広はあくまでも広告代理店として動きます。100%子会社としてメディアレップ・ドットコムという会社をつくるので、そこもcci、DACと同じメディアレップとして口座を開いてください」

 

当時、まぐまぐは広告枠をまずメディアレップに30%の媒体マージンで卸していました。そして日広のような広告代理店はそこから枠の融通を受けていました。その代理店マージンは15%でした。

 

僕は、新会社メディアレップ・ドットコムから卸す広告代理店マージンを20%にすれば、cci、DACから商流をひっぺ返せるし、日広だけでなく、多くの広告代理店に発破をガンガンかけられる!とアピールしました。

 

予定通り99年9月、インターキューが店頭公開を果たした直後に、まぐまぐを運営していたユナイテッドデジタル、ネットアイアールディーとインターキューとの合弁会社 まぐクリックは設立されました。その会社は広告枠の総販売元でしたが、これまでどおりcci、DACなどメディアレップを通じた販売をするという方針を打ち出しました。もちろん一社増やすことは発表せずにw。

 

僕は、ほぼ同時に日広の100%子会社としてメディアレップ・ドットコムを設立し、すぐさま当時、パチンコの出玉情報サービス会社を営んでいた、リョーマの後輩である森輝幸さんをスカウトしました。

 

森さんの猛烈な営業パワーも奏功し、当初の予測を遥かに上回るペースでメディアレップ・ドットコムの業績は急伸しました。設立直後の卸先顧客は、それこそ日広しかありませんでしたが、当時のヤフーやmsn、サイバークリック、バリュークリック、ダブルクリックを売りまくっていた自称ネット広告代理店を片っ端から攻略し、ウイークリーまぐまぐの仕入れの商流をcci、DACからスイッチしていったのです。 実に痛快でした。

 

2000年9月、まぐクリックは見事ナスダック・ジャパンに上場を果たしました。設立から僅か一年の史上最短上場です。(この記録は今も破られていません。)

そして上場を果たした直近の四半期のまぐクリック社における、メディアレップドットコムの売上比率は60%を超えていました。 そうcci、DACを足しても4割を切っていたのです。これはちょっと出来過ぎ、なほどでした。

 

翌10月、日広はインターキューにメディアレップ・ドットコムを株式交換で売却しました。森さんはそのままインターキューグループに移り、いまはGMOメディアを率いています。