私も履歴書  30|なりゆき創業。

2022年2月18日

 

半ば成り行きだったわけですが、徳間を辞めて1992年8月25日、広告代理店=有限会社日広を創業しました。資本金は300万円。当初の広告主は2社。

僕は90年前後、船井総研さんや矢野経済さんなどに呼ばれて「ダイヤルQ²事業の先駆者ダイヤルキューネットワークのキーパースンがQ²ビジネスのノウハウを語る」講演みたいなことを、23、4歳でやらせて戴いていたですが、その折にいろんなちょっと内緒なことを含め、Q²をうまくつかって商売している方々と友達がたくさんできたんです。具体的にはツーショットダイヤルをやっている皆さんとも友達になったんです。
堅気の一般人で、もちろんそういった筋の方ではありません。
ところがツーショットダイヤルでおカネ儲けしてると、普通にやってるともう氏素性が丸見えになっちゃうんですよ。なんでかというと、儲かってる会社というのはみな雑誌広告を出すからなんです。だから、雑誌を見ればココがもうすぐ儲かってくるなというのがわかるんですな、売り上げの多い会社は即ち広告の量が違いますから。
そうなると、もういろんな余計な人たちが会社を訪ねてくるんですね。日本中からそういったお行儀の悪い人たちも小遣いとかをせびりに来ちゃう、と。

斯様な方より「加藤、会社辞めるんだったら、代わりに広告買ってきて」とご要望を戴いたんですね。「雑誌広告には正しい住所も電話番号も載せたくないし、できれば広告を掲載する雑誌発行元の出版社にも自分たちの素性を明かしたくない。だから広告を買ってくるのをやってくれないか」と。

 

僕は、当時の勤務先だった徳間インテリジェンスネットワークを辞めることを検討しだしていた3月頃から、SYN友人の石川清雪さんが営むレディース・コミック専門の広告代理店A.I.Qの運営を手伝いはじめていました。そこで、ツーショットダイヤル用の広告枠の需要と供給が、広告主から出版社から双方より、とてつもなく有ることを知っていました。しかも僕はA.I.Qにて、多くの広告代理店が、広告主としてのツーショット業者の連絡先を血眼になって探しているのに、みつからない状況を横目でみていました。

多くの事業者は、反社会的勢力や隆盛を妬む人々などの訪問を避けるために、広告を掲載している雑誌(男性向け成人誌やレディース・コミック中心)の出版社はおろか、事務所の家主、雇用している社員にまで、自らの生業(なりわい)の詳細を知る人を制限してました。彼らは、誰がその事業を営んでいるのかが、分からないようにすることで、身を守っていたのです。かたや徳間は、僕らがダイヤルキューネットワークから持ってきた事業(伝言ボーイ、テレホンパーティ)を閉じる、と4月に決定してました。

 

彼らからいろいろ話しを聞いていると、出版社からツーショットダイヤル用の広告枠を手配・仲介してくれれば十分だということがわかりました。であれば、広告代理の経験のほとんどない僕にもできそうだな、と。

つまり要望に沿って、お金を払って広告枠を仕入れてくればいい、それが広告取り扱いの業務なんだというのはわかりました。でエイヤー&そろり始めたのが、その広告代理店、日広です。
もちろん…いくら優良な=金払いのいい広告主を持っていたとしても、日広が販売できる広告枠が手に入らなければ、売上げが立ちません。

 

だから、業種別の総量規制(一冊の雑誌に出会い系は合計何ページまで、という上限枠)があったツーショット事業者向けの広告枠を、出版社から買い取っていた広告代理店さんから『廻し』てもらうことで、日広にとってのお得意先=広告主に売ることが出来たのです。お手伝いしていたA.I.Q(のちのリバーストン)はもちろんのこと、数社の広告会社から、様々な雑誌のツーショット事業用の広告枠を廻してもらって、食い扶持を得ることになりました。

それが、起業というか(そもそも志も目標もないままに)はじまってしまった、僕の第一歩でした。